卑弥呼と真珠

第50回

邪馬台国はどこか、江戸時代から続いてきた九州説と近畿説の論争もここにきてどうやら決着がついたようです。 最近のめざましい考古学や古代史研究の進歩により、奈良県の大和地方にほぼ確定、同時にその女王卑弥呼の墓についても桜井市の箸墓古墳に絞られてきているように思えます。 西暦三世紀の日本がどのような国であったのか、それを伝える唯一の資料が『三国志』の魏志倭人伝です。 古代マニアは、その中に出てくる邪馬台国やその女王卑弥呼をめぐって多大なロマンをかきたて、論争し続けてきたのです。 邪馬台国近畿説は真珠にとっても重要な意義をもたらします。それは魏志倭人伝の中に「…貢白珠五千孔…」というくだりがあり、卑弥呼が魏の国王に真珠を五千個贈ったというのです。 五千個の天然真珠を容易に集められる所、近畿説ならそれは伊勢志摩しかありえません。そしてその地は千数百年後、世界で初めて養殖真珠を生んだ場所になるのです。